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連載小説「保健室のロボット先生」

LOG

 赤いラジオを抱えて、ルチルは学校へとやってきた。
 登校する学生達の間をぬけ、車が走る。ゆっくりとした速度の車は、低い唸りを上げてアスファルトの上をすべっていく。
 学校にある駐車場へ続く入り口は、生徒達も利用するので最後の最後まで気が抜けない。
 生徒達があげる喧騒を、ガラスとエンジンの音の向こうに聞いていると、なんだか学校へきたのだという気にさせられる。

「おはよ」
「ねー、昨日の」
「腹へった」
「宿題やってきた?」
 養護教諭は保険の授業ぐらいしか授業を持たないので生徒達とのつながりは薄い。ただでさえ、保健室を利用する生徒が少ないこの学校では、ルチルが知っている生徒がほとんど居ない。
 それでも聞きなれた喧騒に混じる声は、ほんの少しのなつかしさと安心感を与えてくれる。
 それは、いつもどおりという言葉では簡単に片付かない感覚。
 緩やかに車を止め、ルチルはラジオを抱えて歩き出す。横を駆け抜けていく生徒を眺めながら、ルチルは薄く笑う。
「おはよ。ルチル先生」
 振り返ると、秋末が横に立っていた。
「おはようございます」
「なにそれ? ラジオ?」
 ルチルが抱えている赤いラジオを覗き込みながら、秋末が言う。ルチルは、よく見えるようにラジオを抱え直しながらと頷いた。
 予鈴が鳴る。
 あわただしかった生徒達の喧騒は最高潮へと達し、学校はをそれを食べて熱気に変えて行く。リノリウムの床をたたくゴム底の乾いた音、扉の滑車とレールが立てるけたたましい音、せかす声に、急ぎ何かを伝える叫び、そこにゆっくりと教師の声が混ざり始めると、校舎はゆっくりと熱を冷まし始める。
 それまで、加熱は続く。まるで朝に、校舎があくびを、伸びをしているようだ。
「放送朝礼だっけ?」
「うん」
 急がないと、そういって秋末はてくてくと前を歩き出す。
 五分前のチャイムが鳴る。ルチルは、保健室でインスタントコーヒーを入れながら、スピーカーから聞こえ始めるホワイトノイズを聞いた。



 録音されたテープが終わるころ、ちょうどコーヒーが無くなりルチルは席を立った。
 授業の前の一瞬の時間、少しだけ音が溢れる。廊下越しにその音を聞きながら、ルチルは赤いラジオを見た。
 泥などは綺麗にふき取ったが、傷はさすがに消えなかった。それでも十分にまだ使えそうな見てくれには戻ったと、ルチルは一人満足する。
 机の端に置かれたラジオは、朝日をプラスチックの体で精一杯反射していた。
 電池は、見つけたときからはいっていたが、タイマーのような物はなかった。なぜ、それが毎朝決まった時間にスイッチが入り、しかも同じ曲を流していたのか、それはたぶん判らない。大体、同じ曲を毎朝同じ時間に流す局があるのかどうかすら、ルチルは知らないのだ。
 ただ判ってたことは、ラジオが合わせていた周波数にラジオ局は存在していないと言うことぐらい。
 と、ラジオがいきなり乾いた音を立てた。
「……、――――」
 歌が流れ出す。あの、歌だ。毎朝流れていた歌が、ラジオから流れ出した。
「――、――」
 誰も聞いて居ないし、廊下に誰も居ないはずだが、ルチルはあわててラジオをとめようとする。
 しかし、音量をいじってもスイッチをいじってもラジオは止まらなかった。
「――、――――」
 歌は流れ続けている。
 仕方なくルチルは、ベッドにラジオを投げ込んだ。布団にはさまれて、音は静かになる。だけど、誰かが保健室には言ってくれば判ってしまうだろう。
「――――」
 歌は流れている。と、ドアをノックする音。
「は、はぃ」
「ルチルー?」
 秋末だ。返答も確認せず扉が開く。秋末なら、何とかごまかせるそう思って一瞬安心するルチル。
「失礼、します」
 麻が一緒に入ってきた。
「麻ちゃんけがしちゃってね。みてや――あれ? なんか聞こえない?」
「え? そ、そうかな? で、麻ちゃんどこ怪我したの?」
「あ、はい。走っていて、転んだときに掌を」
 そういって開いた手は、擦り傷で汚れていた。
「ねぇ? なんか聞こえるでしょ? んー、と」
 秋末を無視して、ルチルは麻の掌を消毒し始める。ラジオはまだ鳴っている。で居れば秋末が見つける前に、終わってくれれば。ルチルは神に祈った。
「ここだ!」
 神は居なかった。跳ね上げられた布団から、赤いラジオが顔を出す。
「――。――、――――、……」
 そして、ちょうど歌が終わる。
「ルチル、コレってアンタが言ってた、朝に聞こえる歌?」
「うん……」
 仕方なくルチルは、今朝の話しをする。その間も麻の掌の治療は続いていた。
「というわけで……」
「ふぅん。私も今朝聞いたけど、これだったのか」
「はい、麻ちゃん。終わり。明日傷口悪くなったら、いいにきて」
 麻はガーゼのとめられた掌をみて、無言で頷く。
「にしても、なんだか音痴だったんだよねぇ。私が聞いたの。いくら用水路の中を響いてたからって音程までずれるもんかね……」
「え?」
 それはもしかして。
「なーんかちがうかんじが」
「き、の所為じゃないかな」
「なんかね――、――――、こんな感じだった」
 間違いなく、それはあの時、自分が歌った歌だ。
「気の所為だよ、きっと」
 秋末が首をかしげている。麻も一緒に首をかしげている。ルチルは、目をそらして校庭を見た。
 校庭には、体育をしている生徒達が見える。たぶん世界は平和なのだ。見ず知らずの、局から流れる同じ歌だけを流すラジオは、静かにベッドで横たわっていた。





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